2023.04.25 Tue
歴史と文化が宿る文京区、匠の居るBAR「お客様の舌を探り、『EST!』のスタイルを崩さず最善の一杯に」
渡辺宗憲さん(EST!/湯島)確かな技術と比類なき職人魂が深い味わいを織りなすクラフトウイスキー、ザ・バルヴェニー。「ザ・バルヴェニー クラフトマンシップ プロジェクト」では、ザ・バルヴェニーを味わうのにふさわしい専用オリジナルグラスを日本の伝統工芸士、東京銀器の笠原宗峰氏が手掛けた。笠原氏が工房を構える東京都文京区は、日本有数の文教地区であり、東京銀器や東京籐などの伝統工芸が息づき、歴史的建造物が残る歴史と文化に彩られる街。そして、実は良質なバーが点在するエリアでもある。プロジェクトの最終章として、ウイスキーの豊富な知識と確かな技術を持つ4軒のバーを探訪。ウイスキーをいっそう味わい深く提供する“匠”の流儀を識(し)る。
東京は湯島に、日本のバーの黎明期からバー文化を支えてきた一軒がある。その名は「EST!」。開店から50年を迎える今も、孤高の巨星として輝き続けている。
マスターの渡辺昭男さんは1934年生まれ。1973年に自身のバーを開いた。湯島にしたのは、渡辺さんが18年にわたって研鑽を積んだバー「琥珀」がこの地にあったことが大きい。三島由紀夫をはじめ、数多くの文化人が通ったバーである。長年親しんだ馴染み深い場所であり、渡辺さんのつくる一杯を求めてやってくるお客がすでに数多くいたからだ。
店の名付け親は「酒の生き神様」として知られた農芸化学者の坂口謹一郎博士で、イタリアの昔話にちなんでいる。酒好きの司祭が旅をした際、従者によい酒がある宿を見つけたら「EST!」と印をつけよ、と命じた。ある宿の酒は格別だったので、従者は「EST! EST!! EST!!!」と書き記した。そして、ここ湯島のバーの看板にも、3つの「EST!」が記されている。それは、ここに素晴らしい酒が「ある!」と意味しているのだ。
現在は、渡辺さんに代わり、一時的に次男の渡辺宗憲さんが、バーを守っている。生まれ育ちも文京区の宗憲さんは、バーの立地をこう語る。
「湯島天神や湯島聖堂など由緒ある場所が点在しているエリアです。昔からあまり変わっていないように思います。平日は近隣にお勤めのお客様が多いですが、週末は美術館帰りの方も多くいらっしゃいます」
専属農家による地産大麦、伝統的なフロアモルティング、常駐する銅器職人(コッパー)、クーパレッジと樽職人(クーパー)、後熟を開発したモルトマスター。類い稀な5つの職人技で造られるザ・バルヴェニー。
宗憲さんは、味わいについてこう語る。
「バーボン樽で熟成させた深みのあるコクと甘さがありますね。なおかつシェリー樽で追熟したフルーティーさがあって、杯が進みやすいウイスキーです。ロック、ストレート、ソーダ割りでも愉しめます。もし、カクテルを、とリクエストされたら、ロブロイなんかとてもおいしいと思います。正直、ちょっともったいないですが(笑)」
注文が入った際に注ぎ入れるのは、同じく職人技が詰まったザ・バルヴェニーのオリジナル銀器。東京銀器の伝統工芸士の笠原宗峰さんがひとつずつつくったものだ。
「存在感と重厚感が圧倒的。一枚の板からすべて手で叩いてつくる表面の処理がすばらしいですね。熱伝導率が抜群でいて、ディンプルのおかげなのか、グラスに霜は張っても雫が垂れません。お客様には『純銀製⁉』と驚かれます。ウイスキーを提供する側としても負けないようにしなければと思います」
宗憲さんがとくに心を砕くのが、ソーダ割り、水割りである。
ウイスキーがもともと持つ「旨いであろう」という割合を見極め、そのおいしさを崩すことなく、お客の状況や体調を汲み取って最善の一杯にする。
「うちのマスターからずっと言われているのが、『お客様の舌を探りなさい』という言葉です。フルーツひとつとっても酸味や甘味が違うので、味を見ながらカクテルのレシピを大幅に崩すことなく微調整する。そこに、お客様の好みや状況を加味するのです。ブレンデッドのソーダ割り、水割りは、ウイスキー1に対して水が2.5ぐらい。でもザ・バルヴェニーなら、目安は1対2.8ぐらいがベストでしょうか。味がしっかりあって重厚感もあるためです」
銀器に注いだザ・バルヴェニーは、ストレートなら赤味を帯びた琥珀色が美しく映え、ソーダ割りや水割りは、タンブラーの抜群の熱伝導で冷たさが即座に伝わって爽快に。「EST!」の大きな特徴である、あえて液面を低く注ぐのは、グラスを口に付けてから液体が流れ込むまでの「間」と飲んだ後の「余韻」を味わうため。銀器なら、ガラスとはひと味違うニュアンスで味わえる。「丁寧に造られたウイスキーだからこそ、丁寧に提供したい」。そんな宗憲さんの想いが随所に体現される。
渡辺宗憲(わたなべ むねのり)
「EST!」オーナーバーテンダーの渡辺昭男さんの次男として生まれる。札幌「バーやまざき」での修業を経て帰京し、「ジガーバー」「日比谷バー」を経て、1995年、新橋「Bar Atrium」を開店。自身の店を切り盛りしながら、父の入院を機に「EST!」のカウンタ―に立つようになり、今もバーを守り続けている。
インタビュー・文 沼由美子
ライター、編集者。醸造酒、蒸留酒を共に愛しており、バー巡りがライフワーク。著書に『オンナひとり、ときどきふたり飲み』(交通新聞社)。取材・執筆に『読本 本格焼酎。』、編集に『神林先生の浅草案内(未完)』(ともにプレジデント社)などがある。