2023.08.29 Tue
SG Group ファウンダー 後閑信吾氏のインタビュー後閑信吾が語る
「これまでの10年」と「この先の10年」。
BAR TIMES 編集部2012年の「バカルディ・グローバル・レガシー・カクテル・コンペティション」で世界一に輝き、彼の名は一躍有名になった。その後は、SG Groupのファウンダーとして上海や東京、沖縄にバーをオープン、と疾走のスピードはゆるまない。
BAR TIMESでは、2012年にWEBマガジン「BAR LIKERS」にて後閑さんにインタビューを実施。あれから10年が経ったいま、再びじっくりと話を訊いた。
一切の迷いを感じさせずに走り続けてきた後閑さんは、自身の10年をどう振り返るのか。そして、この先どこへ向かっていくのか――。
艶やかにセットされた髪に、手入れの行き届いた爪先。相手に向けるまっすぐな視線は、一寸の隙もない印象を与える。バーカウンターに立つ後閑信吾さんは、いつだって精悍な印象だ。
ニューヨークに住み、人気バー『Angel’s Share(エンジェルズ・シェア)』で働いていた頃、後閑さんの名を一晩にしてニューヨーク中、いや世界に広めたのは、バカルディ誕生150周年を迎えた2012年のカクテル世界大会での優勝だった。
後閑さんに当時のことをたずねると、優勝の喜びよりも、優勝後の活動が自身に変化をもたらしたという。
「マイアミやロンドン、ヨーロッパの各地にアジアと世界ツアーに出させてもらったことで、いろんな国のバーシーンを吸収できて視野が変わったんです。それがなかったら、僕は何者でもなかったでしょうし、いま立っている『The SG Club』もなかったかもしれません」
後閑さんがニューヨークを目指したのは、出身地、神奈川県・川崎市の18歳から入ったダイニングバーで常連客に誘われたことがきっかけだ。
「まだ若かったし、ニューヨークって響きがいい(笑)。22歳の時に漠然と『アメリカで1番になる』という目標を立てて渡米の決心をしました。僕は目標を立てるときは、遠い目標よりも、その手前の叶う可能性がある目標を立てるようにしています。『ニューヨーク・タイムズに載る』『ザガット・サーベイのバー部門に載る』といった旗を立てた中のひとつに、『バカルディレガシーで優勝する』がありました。近いところに旗を立てて、それが取れたら、また次を立てるといった具合に、フェーズごとにどんどん旗を立てていく。もっぱら携帯のメモに入れていて、思い付いた時に打ち込みます」
2014年、後閑さんは上海に自身の優勝カクテルの名を冠したスピークイージースタイルのバー「Speak Low(スピーク ロウ)」をオープンした。優勝後のツアーでさまざま地を周ってインプットをした分、アウトプットへと興味が高まっていた。上海を選んだのは、「これからバーシーンが盛り上がりそうな気配」が満ちていたからだ。第1店舗目を日本で開かなかったのには、今後の展開を見据えたこんな考えがあった。
「アメリカで見てきたスターシェフ達のグローバルな展開に影響を受け、自分もそうしたいと思っていました。一般的に日本のバーは、大将と向き合って限られた席数で愉しむ鮨屋と似ているけれど、料理界のグローバルな展開においてはエグゼクティブシェフはあまり鍋を振らない。レシピもつくるしメニューも考えるけど、営業中は伝票を読んで盛り付けチェックして、ソースの味見をして、料理を出します。どちらかというとそっちをやってみたかったんです。仮に自分がいない時でも、クオリティ、期待値、人気が保てるように人にファンを付けるのではなく、店やチーム全体にファンを付けようと意識していました」
2018年、後閑さんは待望の日本初となるバー「The SG Club」を渋谷にオープンし、自身の拠点も日本に移した。フロアごとにコンセプトが異なるバーは話題を呼び、後に続くカクテル居酒屋をテーマにした渋谷「ゑすじ郎/SG Low」やゼロ・ウェイストを試みるカフェバー「æ [zero-waste cafe & bar]」、沖縄・那覇「El Lequio(エルレキオ)」などコンセプチュアルな店を続々開き、ことごとく話題をさらっている。2012年の小誌(BAR LIKERS)のインタビューでは、後閑さんは「日本に拠点を持つことはない。ニューヨーク在住にこだわりたい」と語っていた。
「そんな事言ってたんですね(笑)。いつかは日本に、という思いはもちろん持っていました。きっかけは、当時上海のバーを任せていた鈴木敦が帰国することになり、それならば日本にバーをつくろう、と。いつも、どこかへ行くとその土地に集中したくなるんです。それがその時はニューヨークだったけれど、日本に帰ってみたら、日本で何かを残したくなったんです。上海も沖縄もそう。その時の気持ちを忘れないよう、今もそれぞれのバーには定期的に訪れるようにしてます」
順風満帆な状況も、2020年から始まるコロナ禍で、バーは営業の自粛や営業時間の短縮を求められた。苦境に立たされる中、「The SG Club」ではフードとカクテルで世界を巡るカクテルペアリングコース〈SG AIRWAYS(エスジーエアウェイズ)〉や、バーを閉店した空き物件に見立て「テナント募集」の看板を掲げた〈エスジー不動産〉という洒落のきいたアプローチで果敢に乗り切り、アフターコロナへと繋げることに成功させた。
後閑さんが壁にぶち当たることなどないのだろうか。
「無茶ぶりにどれだけ応えられるかは、バーテンダーの特技なんです。どんなリクエストにも、できるだけ早く、期待以上のものを提供する。コロナは、お客様は入れちゃだめ、営業時間は制限がかかる、外国人もいない、というこれ以上ない無茶ぶり。どうやってもそれ以下がない状況だから、解決策がそこにあっただけで、何もしない方がリスクでしたね。〈エスジー不動産〉は禁酒法と絡めての発想でした。歴史におもしろ要素を加えたら、異を唱える人も減るだろうし、おもしろがってもらえるかな、と思って試しに始めてみたら意外にも初日から行列ができました。大家さんにはすごく怒られましたが(笑)。収束した時にやってよかった、と思えることをしたかったんです」
世界を股にかけ、走り続ける後閑さん。モチベーションの源は“愉しさの追求”だと語る。それは、チームやその先にいる客にも伝播すると信じている。
「これまでを俯瞰してみると、20代はあんなに働くことはもうないと思うくらいめちゃくちゃ働いていました。それは、今思うと自分のために働いていたんですね。『エンジェルズ・シェア』でヘッドバーテンダーになるとか、コンペを意識するとか。でも、30になって独立してからはチームのためを思うことが大きくなりました。今では社員は約150人になります。掲げた目標すべてを達成してはいませんが、ゲストや海外から来るバーテンダー達にも良いチームだねと言われる事が多く、成果としてはそれなりのものができてきると思います」
店舗の展開のみならず、2020年には蔵元とコラボレーションしたオリジナル焼酎『The SG Shochu』を造り、2023年には泡盛の蔵元と共に開発した黒糖リキュール『KOKUTO DE LEQUIO(コクトウ デ レキオ)』のリリースもした。40歳を迎えて進んでいくのは、これまでとはまた違うステージだ。
「オリジナルのプロダクトを造ることは、会社やチームのためではあるのですが、世のために成りえることだと思うのです。売れて知名度が上がることで、生産者をはじめ、地方や業界の一助ににだってなるかもしれません。カクテルやお店は、飲んでくれた人、来てくれた人にしか伝えられませんが、プロダクトになると広がりが途端に無限になる。これから先は、本業のバーテンダー、バーの運営を軸に、会社の成長と若手の育成を意識した10年にしていきたいですね。するとまた、違うステージが見えてくると思うんです」
穏やかでクールにも見える後閑さんが、うれしさを噛みしめるときはどんな時なのか。
訊ねると、こんな答えが返ってきた。
「たとえば、シグネチャーカクテルをつくるときのネーミング、バックストーリー、レシピが統合してめちゃくちゃいいものができた瞬間ですね。お店づくりにしても、プロダクトにしても、表現したものが納得いくものに実った瞬間に喜びと興奮を覚えます」
そして、「バーテンダーから派生するものなら、大体のものはそのレベルまでうまくやれると思っています」と、不敵にもチャーミングにも見える笑顔で付け加えた。
後閑信吾(ごかん・しんご)
SG Group ファウンダー。バー業界において今世界で最も注目されるバーテンダーの一人。
2006年に渡米し、NYの名店Angel’s Shareでヘッドバーテンダーを務める。2012年世界最大規模のカクテルコンペティション バカルディレガシーにアメリカ代表として出場し、世界大会優勝。
2014年 上海にSpeak Lowをオープン。以後、新しいコンセプトのバーを次々とオープンさせ、現在国内外で10店舗を展開。World’s/ Asia’s Best Bars においては世界最多の47回を受賞している。
2017年 バー業界のアカデミー賞と言われるTales of the Cocktail International Bartender of the Yearを受賞し、Asia’s 50 Best においては個人に贈られる最高賞 Bartender’s Bartender 2019、バー業界を象徴する人物に贈られるIndustry Icon Award 2021 をそれぞれ受賞。 英国誌が選出する「バー業界で最も影響力のある100人」に贈られるBAR WORLD 100 2021 にてアジアトップとなる第4位となっている。
ライター、編集者。醸造酒、蒸留酒を共に愛しており、バー巡りがライフワーク。著書に『オンナひとり、ときどきふたり飲み』(交通新聞社)。取材・執筆に『EST! カクテルブック』『読本 本格焼酎。』、編集に『神林先生の浅草案内(未完)』(ともにプレジデント社)などがある。