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バーをこよなく愛すバーファンのための WEB マガジン

1900.04.3 Tue

第1回 銀座社交料飲協会100年の軌跡バー文化を守り抜いた
「銀座の流儀」とは

銀座社交料飲協会100周年記念特集
震災復興から始まった衛生と信頼の歴史

1925年(大正14年)、関東大震災からの復興期に「銀座生衛組合」として産声を上げた銀座社交料飲協会は、銀座の夜の街を陰で支える存在として歩み始めました。当時の銀座は日本有数の繁華街へと成長する途中で、人々に安全で安心できる社交の場を提供することが急務でした。協会創立当初から掲げられた使命は、加盟店同士が衛生管理の徹底と営業マナーの向上に取り組み、互いに助け合うことで街全体の信用を築き上げることでした。実際、加盟店は協会の指導のもと清潔な店づくりに励み、「銀座の店は信頼できる」という評判を獲得します。その結果、協会への加盟そのものが店の格を高め、お客様にとっても安心の印となりました。震災後の混乱期にあっても、銀座社交料飲協会は街の品格を守り、「銀座ならではの安心感」を育む土台を築いていったのです。


1923(大正12)年9月、関東大震災で被災した東京・銀座4丁目交差点付近

激動の時代を通じ銀座を支えた結束力

その後の激動の歴史の中で、銀座社交料飲協会は一貫して街を支える要として機能しました。戦前から第二次世界大戦にかけて荒波に揉まれた時代、銀座のバーやクラブも存続の危機に直面しましたが、協会は加盟店同士の結束と相互扶助によって困難を乗り越えていきます。終戦直後の混乱期には、治安維持や風紀の健全化に協会が大きく寄与しました。例えば、闇市的な風俗が広がりかねない状況下で、協会は行政とも連携しながら営業ルールの周知徹底を行い、銀座の秩序を守る防波堤となったのです。高度経済成長期には銀座の街もますます華やぎ、日本を代表する夜の社交場として脚光を浴びましたが、その裏で協会は「銀座らしさ」を損なわないよう品格ある営業を啓発しました。バブル期の狂騒の中でも、銀座の高級クラブやバーが過度な競争や混乱に陥らないよう、業界団体として倫理観と節度を保ち続けたのです。こうした加盟店同士の強い結束力と自主的な取り組みにより、どんな時代にあっても銀座ブランドの信頼が揺らぐことはありませんでした。


1931(昭和6)年頃の銀座。夜も多くの人出があったことがうかがえる

伝統を守り革新を受け入れる銀座の流儀

時代の移り変わりとともに銀座の街並みや客層は変化していきましたが、銀座社交料飲協会は常に「伝統」と「革新」の両立を図ってきました。老舗の名門バーから新進気鋭のバーまで、約1,000店にも及ぶ加盟店を束ねる協会は、古き良き銀座の文化を守りつつ、新しい風も受け入れる柔軟さを持ち合わせています。例えば、昭和の時代から続く名店では古くからの常連客に愛されるサービスを守り、一方で近年オープンしたバーでは若い感性を取り入れたカクテルや演出にも挑戦しています。協会はそうした多様性を尊重しながらも、「銀座の流儀」として譲れない品格やおもてなしの心得を全加盟店で共有してきました。その姿勢は未曾有の危機であった新型コロナウイルス禍においても発揮され、協会独自の感染予防ガイドラインを策定して行政と協力しながら業界全体の危機を乗り越える原動力となりました。創立から100年、常に銀座らしい気品とチャレンジ精神を持ち合わせた協会の存在こそが、バー文化を次代へ繋ぐ鍵となっているのです。「銀座だからこそ味わえる安心と洗練」。それを守り抜いてきた銀座社交料飲協会の軌跡には、時代を超えて受け継がれる誇りが宿っています。

銀座の中心街。ネオンが灯る夕暮れ時、世界中の人々が行き交う華やかな通り。
 
 


 
銀座社交料飲協会100周年記念特集のトップ
https://www.bar-times.com/contents/143475/
 
一般社団法人銀座社交料飲協会の公式サイト
https://gsk.tokyo/

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