2016.12.2 Fri
たまさぶろのBAR遊記ブレンデッド・ウイスキー
「デュワーズ」創業者、
ジョン・デュワーの生家を訪ねる
たまさぶろ 元CNN 、BAR評論家、エッセイストウイスキー・メーカー創業者の生家を訪ねる機会など、いったどれぐらいの頻度でやって来るものだろうか。
日本では、NHKの朝ドラ「マッサン」でウイスキー好き以外にもその名を知られることになったニッカの創業者・竹鶴政孝、またその劇中、堤真一が演じたサントリーの創業者・鳥井信治郎(実際にはモデルとされた…)もみなさんの記憶に残っていることだろう。そして、そんな先人の生家を訪ねた方もいることだろう。今なら愛好家の間では「イチローズ・モルト」が親しまれている「ベンチャー・ウイスキー」の代表・肥土伊知郎さんの生家にも立ち寄ることは可能かもしれない。
しかし海外のウイスキー・メーカーについて、創業者の生家を訪ねてみようとは考えたことすらなかった。
ジョンは1805年1月6日、デュワーズの蒸留所がある人口2000人ほどの街・アバフェルディの郊外シェナベイル(SHENAVAIL)にて、ちょっとした丘陵地の農家の息子として生まれた。ジョンはその後、13から15世紀にはスコットランドの首都でもあった「パース」に出て、ワインとスピリッツの商いを行う。人口4万5000人弱のパースは、現在でもこのエリアの中心都市である。パースでの商いが高じ、ウイスキー造りを1846年にスタートさせる。「デュワーズ」の誕生だ。
息子のトミーは、この「デュワーズ」をロンドンでプロモーション。さらにはアメリカにも運び込み、世界的ブランドに成長させた。トミーは鉄鋼王アンドリュー・カーネギーとも親交が深く、カーネギーをして当時のアメリカ大統領ベンジャミン・ハリソンに樽入りのデュワーズをプレゼントさせた。これがきっかけで「デュワーズ」の名が全米中に広まった。また、米の禁酒法解禁時には、港沖でデュワーズを積んだ船を待機させ、解禁とともに上陸させ人気を博したという。「デュワーズ」が現在でもアメリカで非常に人気があるのは彼のおかげとされ、世界プロモーション・ツアーの際には、日本も訪れている。
ジョンは1880年に亡くなるが、ジョン・アレクサンダーはブレンダーとしての才を発揮、ブレンドに使用するモルトを生産するための蒸留所を建設。デュワーズのキー・モルトとなっている「アバフェルディ蒸留所」を1896年に完成させた。デュワーズの「ブレンデッド」を作り上げたのも彼の功績とされる。
ジョンの生家までは、アバフェルディ蒸留所から直線距離で3キロ強だろうか。しかし、実際に生家を訪れるには四輪駆動車が必要だ。
蒸留所からA827号線という世界ラリー選手権に使用されそうな道を西へ向かい、アバフェルディの街中でB846号線を右折。パースまで流れている「テイ川」を、詩人ロバート・バーンズが詠んだとされるウエイド橋から渡る。この対岸には古い城や邸宅が立ち並び、高級感あふれるリゾート地域。「ハリー・ポッター」シリーズの作者として著名なJ・K・ローリングがこの界隈に館を購入したほど。
B846号線を西に進み、見落としてもまったく不思議ではない「Camserney」(キャンサニー)という道路標識がある脇道を右折し、山道へと入って行く。完全な山道は急な登り。唯一、すれちがった対向車もやはり四駆だった。
それまでスコットランドを案内してもらっていたバンで、ここまでやって来るのは無理だ。どおりで蒸留所に着いた後、わざわざクルマを乗り換えたはずだ。天気はあいにくの雨。砂利道どころか、小さい岩もごろごろと転がるような悪路を日産の四駆は力強く登って行く。生家を巡る道ゆえ、もう少々、整備されていても良さそうなものだが、しかし、悪路に揺られ山を登って行くのもスコットランドらしい。
シェナベイルは、キャンサニーの集落よりもさらに登った先。いや、シェナベイルは集落と言うよりも、ふりかえってみれば、ジョン・デュワーの生家そのものである。
左手にひと棟の建物とその周りに石垣が見えて来る。この道は、ほぼここで行き止まり。クルマを降りると、その小高い丘からは、アバフェルディの街並みや、周囲の小高い丘が望め、スコットランドの豊かな自然を一望することができる。
生家…と言ってもこの地には特に記念碑めいたものはない。そういった功績を讃えるすべては、アバフェルディ蒸留所に設えてある。この生家でジョンが生まれた…そんな歴史を肌で感じ取るだけだ。
この領地は、ジョン・デュワーが彼の父から受け継ぎ、そのジョンの息子たちに代々引き継がれ、現在もデュワーズの土地として、私のような奇特なビジターの目に触れることになる。それにしても200年の時を超え、この界隈にまで宅地化など開発の波がやって来ないスコットランドの余裕にも感心する。
時代を超え、残されている当時の石垣の中段には、彼のイニシャル「J・D」と刻まれた文字が、そのまま残されており、誰もがそれを写真に納めるというので、一葉おさえた。
こうした山々に囲まれた丘陵にて、時の流れを感じていると、やはり「スコッチ」という特別なウイスキーは、スコットランドの自然が生み出したのだと実感する。スコッチは、蒸留、熟成を行い人の手により創り出されるものだが、その一方で依然、大麦、水、樽…とすべては自然の力に依存した神の恵み…「命の水」なのだと感じさせる。
博物館も資料館もない、そんな生家巡りだった。
元CNN 、BAR評論家、エッセイスト
立教大学文学部英米文学科卒。週刊誌、音楽雑誌編集者などを経て渡米。ニューヨーク大学にてジャーナリズム、創作を学ぶ。CNN本社にてChief Director of Sportsとして勤務。帰国後、毎日新聞とマイクロソフトの協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」をプロデュース。日本で初めて既存メディアとウェブメディアの融合を成功させる。これまでに訪れたバーは日本だけで1000軒超。2015年6月、女性バーテンダー讃歌・書籍『麗しきバーテンダーたち』上梓。米同時多発テロ事件以前のニューヨークを題材とした新作エッセイ『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在』、好評発売中。
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