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新たな魅力を発見するプレミアムテキーラの世界テキーラの歴史
林 生馬(日本テキーラ協会会長)メキシコにはもともと「プルケ」というリュウゼツランの搾り汁を発酵させた醸造酒が西暦200年頃には存在していた。西暦200年の石板上のプルケを造っている絵が確認されている。
プルケは発酵させずとも、アガベの芯の部分で自然発酵されることもあり、大昔に山火事が起きたとき、こんがり焼けたアガベの中心に酒が出来ていたという話や、鳥がアガベの中心に入り込み出てくるとフラフラで飛べなかったので発見されたなどいろいろな発祥話がある。1800年以上も前のことなので真相はよくわかっていないが、自然発生的に生まれた酒である可能性が高い。プルケは呑んでみると日本の甘酒や韓国の生マッコリに似ている。
16世紀に欧州スペインから大西洋を渡って蒸留技術が持ち込まれると、プルケを蒸留したものを元にメスカルが誕生。メスカルは1538年の課税に関する最古の記録がある。
西暦200年頃には存在していたという「プルケ」は見た目も味も日本の甘酒や韓国の生マッコリに似ている。
メスカルはプルケを蒸留したものと言うと、実は少し違う。プルケはアガベの中心部に開けた穴に溜まった糖分が発酵したもので、毎朝ひしゃくで少量を集める醸造酒だ。元々はこれを蒸留していたが、それではあまりに量が少ないので、メスカルというものはアガベのピニャ(球茎部)を根こそぎ全て掘り起こして加熱、搾汁、発酵、蒸留したものである。
メスカルは瞬く間に人気となるが、17世紀、ハリスコ州のテキーラ村周辺で特に品質の高いメスカルが生産されるようになり、この地域の名にちなんで「テキーラ」と呼ばれるようになる。1758年には、ホセ・アントニオ・クエルボがスペイン王から土地を与えられ、アガベアスールを使った蒸留酒の生産を開始される。
テキーラは一般的なメスカルと違い、アガベを焼かずに蒸している。このスモーキーではない点が当時としては非常に洗練された印象であった。さらに1800年頃にはテキーラはオーク樽で熟成されるようになり、より洗練された味わいになる。そして1873年にはテキーラがアメリカに初めて輸出される。
アガベを焼くのではなく蒸すのがテキーラの特徴的な製法。
1800年頃にはテキーラはオーク樽で熟成されるようになった。
1958年にアメリカのミュージシャン「ザ・チャンプス」が「テキーラ」という曲を世界中でメガヒットさせる。この曲は歌詞が “テキーラ!”の一語のみだったことで、テキーラという言葉を世界中に浸透させることになる。
1968年にメキシコオリンピックが開催され、世界中でメキシコブームが起こり、日本では橋幸夫が「恋のメキシカンロック」をヒットさせ、その歌詞の一節に “恋の酒ならテキーラ” というくだりがある。
1974年には、「テキーラ」はメキシコの原産地呼称(Denominación de Origen)として正式に認められ、1990年代にはテキーラのブランドが世界的に広まり、「パトロン」「ドン・フリオ」などのプレミアムテキーラと呼ばれるジャンルが登場。現在、テキーラは高級スピリッツとして評価され、純粋に味わうテキーラとしても人気がある。
2006年、産地は「テキーラの古い産業施設群とリュウゼツランの景観」 (Agave Landscape and Ancient Industrial Facilities of Tequila) として世界遺産に登録された。
世界遺産に登録されたのは、リュウゼツランの栽培地や醸造所と工場、街並みなど登録対象は多岐にわたる。
文/林 生馬(日本テキーラ協会会長)
1968年東京生まれ。カリフォルニア州で映画制作スタッフとして活躍。ハリウッド・ビジネスの中枢で活動中に周囲の影響からテキーラに出会う。映画スタッフらをはじめ、ショーン・コネリーや北野武監督らとテキーラを酌み交わす経験を得て、テキーラの最先端の飲み方およびテキーラブームの到来を目の当たりにする。訪れた蒸留所は100を数えテイスティングした銘柄は2000を超える。テキーラ蒸留所のスタッフやテキーラ・アンバサダーとの親交も深く日本へ帰国後2008年7月に「日本テキーラ協会」を創立。メキシコ大使館やFOODEXをはじめ、日本全国の会場でテキーラの講習会を行う。著書に「テキーラ大鑑(廣済堂出版)」 TVやラジオ、新聞、雑誌など各種メディアへの出演多数。