2015.11.8 Sun
たまさぶろのBAR遊記「世界の終り」、
名店 MONDE BAR 閉幕について
たまさぶろ 元CNN 、BAR評論家、エッセイスト酒を呑みはじめた頃、通う店と言えば場末のBARばかり。しかし、駆け出し記者だった頃、この「世界」に連れて行かれた。当時の自身の生活圏とは雲泥の差に「銀座」を痛感したものだ。新宿や原宿など浮かれた街とは異なる銀座は「大人の」街に見えた。
BARは銀座八丁目の暗い片隅にあった。飲食店を見つけるのは難しそうな通り、首都高の向こうはもう新橋という界隈だ。さっと通りかかっただけでは見落としてしまいそうな地下への階段が、道端にぱっくりと口を開けている。階段を降りると「MONDE BAR」のレリーフ、そしてそこにはしっかりと読みやすい明朝体で「会員制」と記されている。二十歳そこそこの私は、その文字を目にしただけで正直、少々ビビっていた。
私ひとりでは間違いなく足を運ぶことはなかった。扉を開け、足を踏み入れると、ちょっとした間があり、上着を預かってもらった後、カウンターへと案内された。重苦しい雰囲気から、自分の安物の上着を手渡すのに気恥ずかしささえ覚えたものだ。
カウンターには和装の女性が、少々年配の男性客と同席していた。後から蝶か、金魚かと思わせる装いの若い女性が入って来ると、奥の個室へと案内され消えて行った。「これが銀座のBARか」と肝を抜かれた。
馬鹿のひとつ覚えのように、慣れ親しんだジム・ビームのロックをオーダーしようとすると、連れの恩人に「どうせならブッカーズにしなさい」と勧められた。その奥の深い甘さと余韻に魅了された。今では滅多に口にすることはできなくなったが、おかげで今でも80年代のブッカーズには目がない。
日本のBAR業界は、ほぼほぼ徒弟制度。著名BARに勤務すると、そのオーナー・バーテンダーの弟子としてその後のキャリアを歩むことになる。「東京會舘」系や「帝国ホテル系」は特に有名。輩出された大御所も多い。そんな徒弟制の大きな象徴は日本最大の団体「日本バーテンダー協会」だろう。BAR評論家などと名乗るようになるまで、そんな団体さえ知らなかった私が通うBARは、この時の体験からか「MONDE」系が多かった。まったくの偶然ではあったが…。
長谷川氏が可愛がっていた、当時の若手バーテンダーたちは渋谷の松濤倶楽部に多かった。表参道のトップノート、同じ銀座のバー武蔵、東京駅前八重洲のオーシャン、三越前のバー・ルヰ。前オーナーからそのまま買いとった現座の松濤倶楽部、かつて開高健の行きつけだった赤坂のバー木家下では「開高マティーニ」を受け継いでいる。麻布十番にあったMAEDA BARもそのひとつだ。そうしたBARから巣立っていったバーテンダーたちもいる。これを徒弟関係と考えると、私は「長谷川派」に属する客だろう。
私のBAR通いの中で、かなりの割合を占める「長谷川派」の「総本山」が幕を閉じた。いつでもそこに足を運べば「ある」と思っていたBARが閉じるというのは、誰にとっても衝撃だろう。MONDE BARは品川とベトナムに残るものの、やはりこの総本山には代えがたい。
長谷川氏は独学でバーテンディングを会得。しかしながら師と仰いで来たのは、銀座の「JBA BAR SUZUKI」の鈴木昇氏、「トニーズバー」の松下安東仁氏、「偏㐂館」の永井永光氏と、いずれも伝説のBARとバーテンダー氏。今、MONDE BARも惜しまれつつ、そのひとつに加わることになる。
理解できない感傷なのかもしれない。
今ここで改めて、女々しく、その感傷に浸りたい。 さらば、光輝目映いMONDE BAR!
MONDE BAR
東京都中央区銀座8-11-12 正金ビル B1F
03-3574-7004
たまさぶろ 元CNN 、BAR評論家、エッセイスト
立教大学文学部英米文学科卒。週刊誌、音楽雑誌編集者などを経て渡米。ニューヨーク大学にてジャーナリズム、創作を学ぶ。CNN本社にてChief Director of Sportsとして勤務。帰国後、毎日新聞とマイクロソフトの協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」をプロデュース。日本で初めて既存メディアとウェブメディアの融合を成功させる。これまでに訪れたバーは日本だけで1000軒超。2015年6月、女性バーテンダー讃歌・書籍『麗しきバーテンダーたち』上梓。米同時多発テロ事件以前のニューヨークを題材としたエッセイ『My Lost New York』、2016年1月発売予定。
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