2019.06.11 Tue
コラム:カフェバー ハリー第2話「カウンターに立つ母」
文:いしかわあさこ読むと、ほっこりとした気持ちになり、バーに行きたくなる。いしかわあさこさんのコラム、第二話をどうぞ。
まもなく二十歳を迎える専門学校生のジュンは、「カフェバー ハリー」を営む夫婦のひとり娘。高校時代から店を手伝っているが、両親の仕事にさほど興味はない。ところが、二十歳を迎えた頃からぼんやりと将来を考え始め、店に訪れる人たちとの交流を通じて徐々に両親の仕事、お酒の世界の魅力に気づいていく。
母は若い頃、横浜のオーセンティックバーに勤めていたらしい。いわゆる正統派と言われるバーだ。長年勤めるつもりが、結婚をきっかけに3年ほどで辞めてしまった。さらに私が生まれて、母は当然ながらバーの世界から遠のいた。ところが、ある時テレビに映った名バーテンダーを見たときの母の眼差しを父は見逃さなかった。祖父母の代から続く食堂をカフェバーに変えようと言い出したのは、父だった。
水曜日の、夜。寺田さんは毎週のようにこのカウンターに座る。今日も例に漏れず、彼女の姿があった。
「モスコーミュールを」
「あら、寺ちゃん。今日はもしかして疲れてるんじゃない?」
「わかる? 出張帰りでさ」
詳しくは知らないが、寺田さんと母は知り合ってから長いらしい。食堂時代もたまに来ていたし、私を小さい頃から知っているようだった。
「ジュンちゃん、ちょっと」
たまにカウンターからこうして呼ばれることがある。店が混んでいないときに限るが、隣の席に座ってジュースを飲みながら話し相手になるのだ。
「誕生日、もうすぐだったよね。ジュンちゃんも、やっとお酒が飲めるのね~」
私は特に嬉しくもないのだが、周りの大人は二十歳の誕生日を首を長くして待っているようだ。さっきも学校の帰りに先輩たちから誕生日に開けるようにと、白いペンであちこちに寄せ書きされた赤いボトルを手渡されたばかりだ。
「寺田さんは、どうしてうちの店に来てくれるんですか」
「ここが好きだからよ」
「どのへんが?」
「そうねえ……あなたのお母さん、アキちゃんがカウンターに立ってる姿かな」
その後、もちろんジュンちゃんがホールで働いている姿もよ、と付け加えてくれたけれど、母に会いに来ていることは確かだった。
「お酒の味もそうだけどね、大事なのはそこにいる人よ。アキちゃんはいろいろなことに気付く人。例えば私とカウンター越しに話してて、彼女が私に何かを聞こうとしたタイミングで私がナッツを口に放り込む。すると開けかけた口を閉じて待つような人なの」
どういうことか数秒考えている間に、扉が開いて私は席を立った。寺田さんの横顔が、少し微笑んでいるように見えた。
いしかわあさこ
東京都出身。飲食業からウイスキー専門誌『Whisky World』の編集を経て、バーとカクテルの専門ライターに。現在は、世界のバーとカクテルトレンドを発信するWEBマガジン『DRINK PLANET』、酒育の会が発行する冊子『Liqul』などに寄稿。編・著書に『The Art of Advanced Cocktail 最先端カクテルの技術』『Standard Cocktails With a Twist~スタンダードカクテルの再構築~』(旭屋出版)『重鎮バーテンダーが紡ぐスタンダード・カクテル』(スタジオタッククリエイティブ)がある。愛犬の名前は、スコットランド・アイラ島の蒸留所が由来の“カリラ”。2019年4月、新刊『バーへ行こう』が発売。
第1話 「週6日の常連客」
第2話 「カウンターに立つ母」
第3話 「二十歳の誕生日」
第4話 「バイオリンの音色が響く夜」
第5話 「バーが繋ぐもの」
第6話 「たくさんの笑顔に囲まれて」