2019.06.11 Tue
コラム:カフェバー ハリー第5話「バーが繋ぐもの」
文:いしかわあさこまもなく二十歳を迎える専門学校生のジュンは、「カフェバー ハリー」を営む夫婦のひとり娘。高校時代から店を手伝っているが、両親の仕事にさほど興味はない。ところが、二十歳を迎えた頃からぼんやりと将来を考え始め、店に訪れる人たちとの交流を通じて徐々に両親の仕事、お酒の世界の魅力に気づいていく。
第5話「バーが繋ぐもの」
「僕、お酒を全然知らなくて。種類も、味も、どうやって飲むかも。でも、バーに来てみたかったんです」
サックスブルーのシャツにネイビーのチェックパンツ、ローファーを纏ったその彼は、母の顔をじっと見ながら言った。これまでに何度も店の前を通り過ぎていたらしい。
「居酒屋でビールやハイボール、焼酎を飲むことはありますけど、バーでカクテルやウイスキーを飲んでみたくて。カクテル、何かお勧めして頂けませんか?」
「焼酎はロックで? 水やお湯割り?」
「ロックで飲んでます」
「カクテルは普段召し上がりますか?」
「ジン・トニックとか、モスコーミュールならパブで飲んだことがあります。あとモヒートとか」
全然と言う割りには、そこそこ飲んでいるようだ。でも、バーでは謙虚なほうが得をする。バーテンダーがいろいろと教えてくれたり、考えてくれたりするからだ。母はひと呼吸おくと、シェーカーにジンとライム、シロップを入れた。振り終わったシェーカーの行き先は、タンブラーだ。
「ギムレット・ハイボールです。『ギムレット』というジンベースのカクテルを、ソーダで割ったもの。もし気に入ったら、ギムレットも試してみてくださいね」
彼は頷くと、あっという間に飲み干してしまった。そしてギムレットを頼み、肩の力が抜けた様子で近々TOEICの試験があることなどを話した。
「会社で必要なんです。会議が英語で行われることも多くて」
大学からこのあたりに住んでいることや入社4年目で監査法人に勤めていること、趣味のフットサルまで話が及ぶと、ギィ、と扉が開いた。
「あ、明日香さん」
思わず口を開いたのは、私だ。数か月前、先の彼と同じようにバーが初めてだと緊張した様子で来店してから、通ってくれている。
母が彼女にグラスを差し出すと、彼が少し離れた場所から2層になったカクテルを不思議そうに眺めた。
「アメリカン・レモネードというカクテルです。レモン・ジュースとシロップ、水を混ぜたレモネードの上に、赤ワインをフロートして作るの」
母が彼に伝えると、自然と明日香さんと彼との間に会話が生まれた。暫く話していたが、明日香さんの2杯目のカクテルが半分近く減った頃、翌朝早いからと彼が少し残念そうに席を立った。彼女の顔も、心持ち寂しそうだ。でも、このカウンターが彼らを繋いでいる。
バーはお酒とお酒を繋ぎ、お酒と人を繋ぎ、人と人を繋ぐ。何気なく訪れたのに、生涯の友や結婚相手に出会うこともある。隣に座った人が、やがて仕事を共にする仲間になることもある。同じバーに通う人は、どこか似ているのだろう。ここでの出会いは、偶然ではなく必然なのかもしれない。
いしかわあさこ
東京都出身。飲食業からウイスキー専門誌『Whisky World』の編集を経て、バーとカクテルの専門ライターに。現在は、世界のバーとカクテルトレンドを発信するWEBマガジン『DRINK PLANET』、酒育の会が発行する冊子『Liqul』などに寄稿。編・著書に『The Art of Advanced Cocktail 最先端カクテルの技術』『Standard Cocktails With a Twist~スタンダードカクテルの再構築~』(旭屋出版)『重鎮バーテンダーが紡ぐスタンダード・カクテル』(スタジオタッククリエイティブ)がある。愛犬の名前は、スコットランド・アイラ島の蒸留所が由来の“カリラ”。2019年4月、新刊『バーへ行こう』が発売。
第1話 「週6日の常連客」
第2話 「カウンターに立つ母」
第3話 「二十歳の誕生日」
第4話 「バイオリンの音色が響く夜」
第5話 「バーが繋ぐもの」
第6話 「たくさんの笑顔に囲まれて」